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2011-05-04

新たに・・・「風姿探訪」を立ち上げました

思うところあって、新たに同名の「風姿探訪」というブログを開設してしまいました。

新しいURLは:こちらです ⇒ http://sogagoro.blog55.fc2.com  

これからはこちらをご覧いただけると幸いです。宜しくお願いいたします!
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2010-01-20

白金「オーギャマンドゥトキオ」

少し前に浄瑠璃の豊竹英大夫をお招きして10名程度で文楽ファンの集まりをさせていただいたのがこのお店。知る人ぞ知る白金台の隠れ家的フレンチ「Mスク」のシェフを長く務めた木下威征シェフが、光林寺・五の橋(明治通りの天現寺橋と四の橋の間に「五の橋」がある)界隈にこの店を構えたのが一昨年の5月。もう今年で2周年になる。

その木下シェフがこのたびファンの声に応えて期間限定ながら「Toi Toi! ギャマンの夜はふけて・・」と題するお洒落なブログを立ち上げた。

ユニークな食材、逆にありふれた食材をちょっとした工夫で魔法の一品に仕上げてしまう木下氏のイマジネーションと料理人としての一途な思い入れが伝わってくる。

http://augamin.com/ または http://augamingyaman.blog122.fc2.com/ でどうぞ。

オーギャマンドトキオ(Au Gamin de Tokio) 港区白金5-5-10 2階 03-3444-4991

2009-12-13

伊達娘恋緋鹿子 (だてむすめこいのひがのこ)

八百屋お七が火の見櫓の半鐘を打ち鳴らして、江戸の木戸木戸を開かせ、恋しい男の命を救おうとするお話。井原西鶴の「好色五人女」にも出てくるお七のほとんど狂気ともいえる烈情の描写に凄みがある。特に人形のお七が櫓の梯子を上りながら、ぐっと見返って見栄をきるシーンには「ゾクッ」とさせられる。文楽12月公演ではやっぱり彼女の大胆かつ身勝手な活躍を描いたこの段が一番の見所か。それにしてもその前の八百屋内の段をやった呂勢大夫(豊竹)は若手の中でも非凡な才能と美声に恵まれた逸材のひとりとお見受けする。確かテンペストでは我があこがれの清治の三味線にのって演奏していたのは彼ではなかったか。昨日の三味線は清介だったが、彼の独特の面構えと相俟って他にはない味があった。

さて今年の文楽もこの12月公演が最後。来年は1月の大阪の初春文楽公演からスタート。2月は東京の国立劇場で「曽根崎心中」がかかるので今から楽しみ。そして4月は再び大阪で蓑助の文化功労者顕彰記念公演として「妹背山婦女庭訓
(いもせやまおんなていきん)」が通しでかかる。これも見逃せないなぁ~。かくて文楽三昧は続く・・・。

2009-11-08

文楽「芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」

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平安時代に活躍した陰陽師、安陪清明が実は父保名(やすな)と信田の森(しのだ:現在の大阪府和泉市)に住まう白狐の間に生まれたとする伝説に依拠した「芦屋道満大内鑑」を観る機会を得た。
保名は自害して果てた想い人「榊の前」の実の妹「葛の葉」になりすましていた白狐(白キツネ)との間に子供を設け穏やかな日々を送っていたが、本物の葛の葉が追いかけてきたことから、白狐の正体が暴かれる。保名はそれでも温情を示すが、白狐は己の定めと夫子と別れ、障子に「恋しくば 訪ね来てみよ 和泉なる 信太乃森の うらみ葛の葉」との一首を残して元の棲かである信田の森へと涙ながらに帰って行く。そしてこの童子こそが後の安部清明その人である。
・・・と、まあ荒唐無稽なストーリーが少なくない浄瑠璃の世界においてもひときわ怪異な物語であるが、保名に命を助けられた恩返しのつもりで葛の葉になりすますうち、深い情を交わすこととなった狐の心根と母子の別れが切ない物語である。愛らしい白ギツネの人形と若く美しい葛の葉を巧みに遣い分ける吉田文雀の技とその狐の一人道行「蘭菊の乱れ」で立三味線を勤める鶴澤清治の緊迫感あふれる演奏に思わず鳥肌が立った。

一昔前野村万斎主演の映画「陰陽師」で話題になった安陪清明が今再びブームと聞く。晩秋の大阪で同時にかかる「心中天網島」とは時代も題材も対照的な本狂言も見所の多い舞台である。

国立文楽劇場「錦秋公演」 11月23日まで  詳しくはこちらまで

2009-10-08

大山阿夫利神社 火祭薪能

大山阿夫利神社 火祭薪能
<開演前の能舞台>
大山阿夫利神社で毎年この時期に開催される「火祭薪能」を観た。とは言うもののご覧のとおりのあいにくの雨。屋根のない一般席の観客は色とりどりの雨合羽を着て、傘は観覧の妨げにならぬよう膝からしただけを覆うという涙ぐましい姿ながら、まだ緑深い丹沢山系の懐で織り成される幽玄な世界を堪能した。能の劇評は恐れ多くて差し控えるが、個人的には演目のひとつであった能「小鍛冶」を大変興味深く拝見した。長唄にも短いながらとても上品な同名の曲があり、その題材となっている本家本元を是非観ておきたかったからだ。中入り後に稲荷明神(シテ)が現れ三条小鍛冶宗近(ワキ)と刀を鎚で鍛える所作はお能にしては随分と具体的で微笑ましくさえ思えた。この曲に関しては長唄のもたらすイメージは能のそれと意外なほど素直に通じているように感じたがいかがであろうか。

9月半ばに坂東三津五郎が襲名以来の宿願であった歌舞伎舞踊「山帰り」を奉納した際に初めて訪れた阿夫利神社の能舞台。その際は初秋の風が爽やかな晴天の下、この度は、秋も少し深まった雨の夕暮れではあったが、阿夫利(あぶり)の由来は「雨降り」とも言うらしいことを思えば、雨合羽を着ての観劇もまた大山ならではの一興と言えよう。

この素晴らしい能舞台、ぜひ機会があればお訪ねになることをお勧めする。

2009-08-16

San Quirico d'Orcia (サン クィリコ ドルチア)

P1010610_small.jpg

世界遺産 Val d'Orcia (オルチア渓谷)をレンタカーで回った。その中の街のひとつが San Quirico d'Orcia である。下手なコメントより写真をご覧いただくのが一番と、当ブログに連携したHP 風姿探訪 にフォトギャラリーを開設した。

2009-08-11

シエナのカンポ広場

Palazzo Pubblico, Siena, Toscana
<カンポ広場のプッブリコ宮>
1週間後に迫ったパリオ(カンポ広場で繰り広げられる競馬)の準備に余念のないシエナを訪れた。写真の手前に見える「柵」はまさに「馬場」を仕切るために準備されている。広場を取り巻くカフェにも既に階段状の観客席が組み上げられている。8月16日には広場全体が臨時の競馬場と化するのだ。不思議なのはこの広場全体が市庁舎のある方向に向けてかなりの角度で傾斜していることだ。「地球の歩き方」には「緩やかに傾斜している」とあったが実際に見ると相当な角度で傾斜していることが分かる。パリオ当日、競走馬はかなりきつめのRと相当なアップ・ダウンのある馬場を走ることになる訳だ。
Duomo, Siena
<シエナのもうひとつの象徴、ドゥオーモ>
12世紀から約200年をかけて完成されたドゥオーモ。ファサードの素晴らしさは写真をご覧いただければ言うまでもないだろう。だが実際に観ると圧倒的な3D空間に驚嘆させられる。写真もテレビもない時代、これを目の当たりにすると神の世界を実感せざるを得なかったであろう。

2009-08-09

ロンドンの新しい国際鉄道駅

セント・パンクラス駅に到着したユーロスター
<セント・パンクラス駅に到着したユーロスター>
久しぶりにパリからロンドンに向けてユーロスターに乗った。確か最後に乗ったのは2006年の11月頃だったと思う。その列車でその後程なく難病で命を落とすことになった古くからのフランスの知り合いに偶然に出会ったことを今でも不思議な気持ちで思い出す。今ではもう旧聞に属するようだが、ユーロスターは以前はウォータールー駅に到着していたが、現在ではこのセント・パンクラスをターミナルとしている。古くからのレンガ造りの駅舎にモダンなデザインを組み合わせた快適な空間である。お陰でユーロトンネルを潜ってからの速度がぐっと上がり、本物の「超特急」を実感できるようになった。

2009-08-09

真夏のフィレンツェ

アルノ川のポンテ・アッレ・グラツィエを望む
<アルノ川上流のポンテ・アッレ・グラツィエを望む>
ほぼ1年半ぶりにフィレンツェを訪れた。今回は夏のヴァカンツェの真っ只中とあって街はすっかり観光客に占領された観がある。前日までのパリが割と涼しかったのに比べると、フィレンツェは30℃を超える暑さだ。以前は中に入れなかったベッキオ宮の中を初めて見た。改めてメディチ家の富と権力、美への憧憬に圧倒された。天気がよければシエナからオルチアへ足を伸ばそうかと考えている。

2009-07-29

文楽「生写朝顔話」 於 大阪 国立文楽劇場


<大阪・日本橋 国立文楽劇場>

 大阪・日本橋の国立文楽劇場で「生写朝顔話」を観た。文楽の本場、大阪での観劇は4月の通し狂言「義経千本桜」以来である。宇治川での蛍狩りの折に出会った中国大内家の家臣、宮城阿曽次郎に恋焦がれる武家の娘、深雪の数奇な運命が描かれる。全編に運命に翻弄され阿曽次郎との再会を果たせない深雪(蓑助)の艱難辛苦を綱大夫、津駒大夫らが語り継いでいくが、「嶋田宿笑い薬の段」は住大夫が「ようまあ演技としての語りやのにあそこまで上手に笑いはるわ~」と感心させられる「大笑い声」で悲劇的なストーリー展開に一息つかせてくれる。(錦糸の太棹に合わせて、床の後ろで細棹のツレを弾いていたのは誰だか自分の席からは見えなかった・・)。
 そしていよいよ盲目となった深雪が阿曽次郎の前でそれと気づかぬままに琴を奏でながら「露のひぬ間の朝顔を・・・」と唄う「宿屋の段」の切り場となる。浄瑠璃・嶋大夫、三味線富助の名手に加え、普段、若手・中堅の一角として三味線を持つ鶴澤清丈が深雪の琴を弾く。今は落ちぶれた深雪の哀れを誘う風情と奏でる琴の美しい調べ。それをじっと聞き入る阿曽次郎。舞台の人形と床の大夫・三味線・琴の芸と芸が一体となって、蓑助が遣う深雪がまるで本当に琴を弾いているかに思える幻想的で叙情溢れる場面。図らずも涙が止まらなかった。この段だけでも遥々「朝顔話」を観にきた甲斐があったというものだ。そして英大夫が語る「大井川の段」で深雪が阿曽次郎と彼女を育てた乳母浅香の恩愛によって奇跡的に視力を取り戻すところでこの物語は終わる。
 文楽を観るようになってまだ1年たらず、「朝顔」は文楽独自の人形・大夫・三味線の三業をあたかも一体のものとして表現し、それらの芸の単純な足し算を遥かに超える官能的な美の世界を見せてくれたと言う意味でこれまで拝見した中で最高の舞台だった。

 文楽発祥の地、大阪に国立の文楽劇場が建てられて今年で25周年。それを記念する夏休み特別公演のサマー・レイト・ショーは憧れの鶴澤清治が作曲した「天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)」(シェークスピア作「テンペスト」より)。朝顔の余韻のまま定式幕の引かれた舞台を前にそのまま座っていたい誘惑に駆られたが、道頓堀の食倒れも捨てがたく、9月の東京での公演までのお預けとして夕方の風が涼しく感じられる日本橋を後にした。

2009-07-25

能「融」 (国立能楽堂)

P1010365_small.jpg
<開演前の国立能楽堂>

古くからの友人のご好意で金春流櫻間右陣によるお能「融(とおる)」を観る機会を得た。世阿弥の傑作のひとつとされる「融」は源融が造営した六条河原の邸宅跡を舞台に、陸奥の塩竃を模したといわれる庭園の美しさや往時の煌びやかで風雅な日々を懐かしむという、ある意味たわいもない内容の曲である。その実、美しい詞章によって謡われる当時の六条河原院やそれを取り巻く京都の山々の明媚な景色を想い浮かべるうちに、なんとなく自分までもその時代にタイムスリップしたような不思議な心持にとらわれる。そして、中入の後、シテが月影に誘われるように軽やかに舞い始め、得も言われぬ恍惚感のようなものが漂うのも束の間、融の霊はあっという間に月光の中に消えて行く。後には幻想によって高揚した気持ちと二度と戻らぬ過去への寂寞感の双方が心に残る味わい深い曲であった。

「能」はまだまだ観始めたばかりで、本当のところは未だよく分からない。ただ、美しい能舞台、舞台ごとに個性的溢れる老松、華やかな装束、幻想的な笛や鼓の音、躍動感あふれる謡など「理解」とは別に五感に訴えるものの心地よさにはいつも感激させられる。だから、睡魔との戦いの連続になることがどんなに分かっていようとも能楽堂に足を運ぶことにはいささかのためらいもない。

 故 櫻間道雄二十七回忌追善 櫻間右陣之会 於 国立能楽堂 (090725)

2009-07-22

長唄と三味線

三味線
<紅木三味線と撥>
去年の暮れから文楽を観るようになったのだが、義太夫節の三味線への憧れが昂じてネットで見つけた長唄の先生に三味線(*)を習い始めることに。お稽古に通い始めて約2ヶ月、最初の練習曲である「松の緑」を危なっかしいながらも最後まで弾けるようになったのを機会に、思い切って自分の楽器を買うことにした。あれこれ迷った末、先生や豪徳寺の邦楽器「亀屋」の若旦那に薦めていただいた「紅木」製の三味線を手に入れることができた。写真では分かりにくいが、練習用にお借りしていた「花林」材の楽器に比べると棹の材質が高密度で重く硬く、そして色ツヤもグッと深みがある。実際に弾いてみると全体としてとても大きな音で鳴ってくれる。特に高音域に温かみと伸びを感じられ、瞬く間に虜になった。習い始めてわずか数ヶ月。三味線のお稽古もさることながら、一番の課題はいかに長く正座し続けられるかということ。本当の修行はまだまだこれからだ。

*義太夫節では主に太棹三味線が用いられるのに対して長唄や小唄では細棹が一般的だ。しかし義太夫の、ましてやその三味線となるとなかなか習う機会を得るのは難しい(と思う)

2009-07-12

小淵沢カントリークラブ

小淵沢
<小淵沢カントリークラブ 18番ホール>

梅雨空の合間を縫って、中央高速小淵沢インターから約10分のところにある小淵沢カントリークラブで1年ぶりにプレーした。今回はクラブハウスに併設されているロッジに1泊して、初日は27ホールストローク・プレーで勝負、その順位によって組み合わせを決めた上、翌日はトーナメント形式でのマッチ・プレーで優勝者を決める本格的なアレンジとなった。普段からテニスやゴルフを一緒にやっている気心の知れた仲間4人でプレーしたのだが、これが結構集中力を要求されるタフな「試合」だった。
プレーの結果はともかく、小淵沢カントリーは八ヶ岳の麓、標高1000m前後にあるそれはそれは美しい高原林間コースである。夜はエアコンなしでもとても涼しくぐっすり眠れる(4時起き、タフ・ゲーム、飲酒の影響なしとはしないが・・)。かくも素晴らしいコースではあるがパブリックでありど誰でもプレーできるとのこと。ロッジは一泊1名4200円と格安で、一流リゾートのコテージ並みのアコモデーションで得した気分。これからの暑い季節にぜひ泊まりがけで訪れてみたいコースである。
ちなみに、「今日はなんだかよく飛ぶなぁ、ひょっとしてパワーアップした?」って内心ほくそ笑んでいるとキャディーさんから、標高がこれぐらいあると空気が薄いのでワンクラブ分ぐらいはボールがよく飛ぶとのこと。な~んだ・・・そういうことか、やっぱりね。

〒408-0044 山梨県北杜市小淵沢町10060  0551-36-4411

2009-07-04

パリ「Hotel Scribe (オテル・スクリブ)」

黄昏時のオテル・スクリブ
<Hotel Scribe (最近の写真に更新しました)>
仕事の関係で一番よく訪れる外国の都市はパリである。そのパリでこれまでの約20年にわたって常宿としてきたのが「スクリブ」である。オペラ座近くのホテルと言えば目に付くのは「Cafe de la Paix」がある「Le Grand」(現在はInterContinental Le Grand)であろう。その裏通りが rue Scribe であり、ちょうどそのスクリブ通りを挟んでル・グランと向かいあっているのが庵主が愛して止まない 「Hotel Scribe」。20年の間には何度か経営も変わり、インテリアのリノベーションも最低2回はあったし、外装も確か2年ぐらいかけて綺麗にブラッシュアップされて今日の姿になっている。規模が大き過ぎず、小さ過ぎず。各部屋も豪華過ぎず、十分に快適で静か。フロントのサービスがとりわけ言い訳でもないが、困ることもない。何より入り口立っているポーター諸氏が大体昔から変わっていないことも安心感につながる。唯一ちょっとだけ残念なのが朝食を地下でとらなければならないことだ。しかし地下であることを除けば、いつものごとくフランスらしいバターの利いた香ばしいクロワッサンやパン・オー・ショコラ、絞りたてのオレンジ・ジュースにお決まりのキャフェ・オレ。地味ながら充実した朝食ビュッフェは時差ボケ気味の頭を瞬く間に目覚ましてくれる。こうしたフランス文化の基本的な部分は当たり前のことだがこの20年間1ミリも揺らぐことがない。そう言えばメリル・ストリープとアン・ハザウェイの「The Devil Wears Prada (プラダを着た悪魔」で二人がパリに来るシーンで車の窓から「Scribe」の文字が鮮やかに見えたのが印象的だった。イタリアも好きだがやはりフランスにはほとほと参る。

2009-07-04

新橋「七蔵」(稲庭うどん)

JR新橋駅を汐留側に出た駅前ビル1号館の2階にある。お昼に伺った。まぐろのづけ、サーモン、高菜しらすなど様々な種類の丼と稲庭うどんのセットメニューがお昼の定番。うどんの大きさを大中小から選ぶことができる。うどんのつけ汁は一種のゴマだれのようである。稲庭うどんってこういう濃厚なつゆで頂くものだっけ?思っているうちに平べったいざるにうすく広げられた半透明に透き通ったおいしそうなうどんが運ばれてきた。程よいコシとゴマダレ(風?)のつゆがよくあう。アッという間にうどんもどんぶりも終わってしまった。お昼のピークには結構並ぶようだ。11時20分からやっているから少しお早めに。夜も酒に酒肴で結構楽しめそうなお店である。

港区新橋2-20-15 新橋駅前ビル1号館2階  03-3571-5012

2009-07-04

月島「星時計」

月島と言ってももんじゃなどが集まっている辺りからは少し離れた場所にある。初めてだとなかなかお店を見つけるのも大変だが、入り口も「本当にこの扉を開けてよいものだろうか」と思わず逡巡してしまう佇まい。しかし、常連の紹介があることに意を強くして中に入る。お店の中はクラシックな民家風で文楽ゆかりの品々や国立劇場での公演予告ポスターなどが目に入る。ここは知る人ぞ知る桐竹勘十郎氏の親戚の方のお店と伺った。実はもともとは文楽とは全く別の筋からこのお店の存在は聞かされていたのだが、つい最近になってそのお店が勘十郎さんゆかりのお店だと偶然知ったのである。いずれにしても常連さんが次から次へとやって来られ終始賑やかなうちにあっという間に時が過ぎて行った。お昼もあるとのこと。文楽関係の催しもあると言う。月島散策に少し疲れたら立ち寄られてみてはいかがか。

東京都中央区佃1丁目2−10 03-5547-8445


2009-07-04

森下「京金」

何年かぶりに伺った。夜7時頃であっただろうか。入り口辺りの佇まいは縦に細長いビルの1階とは思えない風情のあるエクステリア。靴を脱いで上がるところも変わっていない。先客は一人だけ。テーブル席に着きせいろを頼む。やや平麺的な切りが特徴的であるが、麺のコシ、蕎麦粉の風味は相変わらずしっかりしている。つゆはこれまた当世風というか出汁がきっちりと利いたお味。くどいようだが、麺のレベルが高いだけにつゆこそもう少し「粘り」が欲しい。その後すぐに月島に向かわねばならなかったので、天ぷらなどを頂くこともできず早々に失礼した。
ご主人らしき方も出て来られていたが、以前お目にかかった方とは違っていたような。ひょっとして代替わりでもあったか。

2009-06-20

銀座「古拙」

音にきく修善寺「朴念仁」の東京再出店の銀座「古拙」にお邪魔した。ミシュランの星がついているらしい。そのせいか夜はなかなか予約がとれない。ということで、お昼に伺う。銀座と言っても京橋のちょっと先、乱暴だがホテル西洋と歌舞伎座のちょうど間ぐらいにある。確かにわかりにくい場所にある。しかも地味なビル(?)の2階。まずはこの佇まいからして敷居の高さを感じてしまうのは庵主だけではなかろう。お昼は蕎麦だけの単品はなく1,600円程度からのセットメニューのみのようだ。蕎麦膳を頼み、もり蕎麦を選択。
麺の切り幅は通常の多分半分程度。ほとんど素麺なみの細さである。上品な笊の中心にこんもりと盛られている。麺だけをいただく。これだけの細さに切るには相当な熟練が要求されることであろう。しかも、その細さにもかかわらず、抜群のコシと口中でパァっと広がる蕎麦粉の風味。間違いなく麺だけで1枚ぺろっと行けそうな出来栄えである。極端な細めんの故、当然のことながら麺と麺の間に多めの水分が残ることと、盛り方があまりに無造作であるが故に麺を適当な量に取り分けるのが難しいのがちょっと残念。できれば、ちょぼちょぼに分けて盛ってもらいところだが、この細さでは茹で上がった時点ですでに麺が絡み合っていてそれを解(ほぐ)している間に麺がクタクタになってしまうのであろう。
半分ぐらい食べたところでつゆを試してみる。ここもやはり当世流と言うのか極端なまでに出汁が先行したつゆ。色は黒い割りにかえしの粘りが感じられない。みりんのアルコールを飛ばし、三温糖をもうこれ以上は溶けないというところまで溶かしたときに生まれるかえしの粘り。あの「キャラメル」の粘り感みたいなものが、もう少しあった方がしっかりと麺に絡み、蕎麦の風味と解け合うのではないかと愚考する。
蕎麦膳についてきた小鉢はいずれも美味。このお出汁はこうした和食にこそぴったりのお味である。
ミシュランもおそらくはプレーンな「蕎麦屋」としてではなく、店内の凛とした雰囲気、上質の蕎麦と和の贅を尽くした酒肴の数々を高く評価したものであろう。
神田「石井」時代には行きそびれてしまったが、どんなお店だったのか今になってふと知りたくなった。

銀座「古拙」 中央区銀座2-13-6  03-3543-6565


2009-06-20

赤坂見附「蕎麦ジロー」

赤坂プルデンシャル・プラザのジパングに時々伺うのだが前から大通りに面したこのお店のことが気になっていた。おせいろを頂く。普通のつゆとごまだれと思しきつゆがもれなく付いてくる。
麺は普通の切り幅、色はやや薄めか。よく見ると更科蕎麦と書いてあるので、御膳そばに近いそば粉なのかもしれない。見るからにエッジもしっかり、コシがありそうな雰囲気。まず麺だけいただく。予想にたがわずとてもしっかりとした口当たり。蕎麦の風味もしっかり感じられる。普通のつゆで一口いただく。こちらは当世流のかつを(?)出汁が前面に出た風味。こうなると力強いお蕎麦に負けてしまい、なんとなく間延びしたつゆの風味だけが舌に残ってしまう。胡麻ダレは(当然なのだが)しっかりと麺にからみ美味しくいただけるが、同時に蕎麦の風味も覆い隠してしまうのはちょっぴり残念である。
蕎麦湯も当世風にそば粉を溶いてあると思われるが、この手の蕎麦湯の場合、どんなそば粉を溶いてあるのか、そこが気になるところだ。
おそらく夜の酒肴と銘酒がこのお店の売りであろう。外のテラス(?)席があるのは大いに魅力だ。

2009-06-17

新丸ビル「石月」

閉店になった八重洲「三日月」の流れをくむお店と伺っている。「辛味おろし」と聞くとつい反射的に注文してしまう。麺はかなり細め。蕎麦粉のもつ風味とほんのりとした甘みを感じさせる上質の麺である。つゆはかつお出汁がしっかりと利き、一茶庵系や翁系を思わせる上品な仕上がり。返しの粘度とコクは軽めで、細めん故に麺肌に残りがちな水分によってつゆが薄まってしまうのは止むを得ないか。このつゆだといずれは「かけ」を食べてみたいものである。

丸の内 新丸ビル5F  03-5879-4680


2009-06-14

小田原「友栄」

小田原厚木道路の入り口近く、「鈴廣の里」の並びにある。日曜の1時過ぎに伺ったが入るのに30分、食べるまでだと45分は待った。しかし、それだけのことはあった。ふんわり柔らかいうなぎにほどよい甘さのタレ、ふっくらと炊き上がったご飯が絶妙のバランス。銘酒、焼酎も揃い、運転のない方には肝焼きを肴に軽く一杯やってからお目当てのお重をいただくのも悪くない。伊豆・箱根方面にお出かけの際にはぜひ。

小田原「友栄」 小田原市風祭157 0465-23-1011

2009-06-10

経堂「経堂」

久しぶりに中に入れた。そうそう、まるで人の家に上がりこむような、というか田舎の親戚の家に法事の後に集まって食事をするときのような、そんな感じのする店内だったと、以前の記憶がよみがえる。もちろん靴を脱いで「お宅にお邪魔するのである」。まずはおせいろから。切り幅ほぼ標準で色も極淡茶。光線の加減かもしれないが、麺肌のツヤがことのほか輝いていた。まずは麺だけでいただく。適度なコシ、適度なエッジ感。蕎麦の風味がごくほんのり。つゆはかなりの出汁先行型。濃い目のかけ汁でもりをいただいている感じ。もう少し、かえしを効かせたつゆにした方がこの蕎麦には合うであろう。だし先行のつゆに出会ったときのお約束ごととして、「かけ」をお代わりとした(じつはかけではなくとろろをたのんだのだが・・)。つけ汁から想像したとおりのこくのあるかけ汁。麺のコシがかけでもいささかも崩れないところは元の蕎麦のできがいい証拠だ。最期までつゆを飲み干したら少し暑くなった。

2009-06-10

歌舞伎「女殺油地獄」

片岡仁左衛門、一世一代の「女殺油地獄」を観させていただいた。武士の無礼打ちを恐れる臆病、継父に対する反発と憧憬、それでいて両親の真心を漏れ聞いて流す涙、そして最期は借金逃れのためなら人殺しすら辞さない冷血漢、目まぐるしく変転する河内屋与兵衛の人格を巧みに演じ分け、最期は阿修羅の形相で床一面にこぼれた油にまみれてながら、命乞いをする若き人妻を刺し殺すまでを一気呵成に演じきる仁左衛門の凄み。背中にぞくっとするものを感じたところで幕となった。
文楽2月公演では勘十郎が遣う与兵衛の人形ならではの大暴れに感動し、やっぱり人形の方がよっぽど人間臭いやぁと思ったが、どっこい生身の人間が演じる与兵衛のド迫力に圧倒された。

2009-06-06

八重洲「おにわか」 (以前は「三日月」だった)

三日月は昨年の4月に閉店となり、その後は「おにわか」というはやり手打ち蕎麦
を食べさせるお店になっていた。せいろをいただいた。長方形の一茶庵系のお店で
よくみかける器に入った蕎麦はいかにもエッジが立っていて期待が高まる。まずは
つゆなしで食べてみる。予想にたがわずしっかりとしたコシに心地よいシャープな
食感。蕎麦粉の風味も十分に感じられる秀逸の麺である。薬味のねぎもわさびもい
いものが使われている。三日月の打ち手は高橋邦弘さんに師事したと聞いたが、こ
こもやはり高橋さんのお弟子さんであろうか。かつお出汁の効いたつゆといい、翁
系を思わせる仕上がりにその思いを強くする。
ところで閉店前の三日月の打ち手は現在は丸ビルの「石月」にいらっしゃるとのこ
と。近々伺ってみたいものである。

「おにわか」 中央区八重洲2-10-7 丸万ビル 1F 03-3516-6801

2009-06-06

日本ばし「やぶ久」

経堂「経堂」ははるばる出かけたにもかかわらず、たまたまその日は臨時休業。一度目は早仕舞いで入れず、2回目はかろうじて食せたが、3回目はお休み。庵主の日頃の行いがよほど悪いか、ご縁がないか。それだけに渇望感が高まるのも事実。
さて、気を取り直して都心に戻り、日本ばし「やぶ久」に初めてお邪魔する。なるほど明治三十五年創業と言うだけの歴史を感じさせる雰囲気の店内。時間も遅かったのでとりあえず「もり」1枚を頼む。麺は標準の切幅、色は淡目ながらもしっかりとした蕎麦の色。エッジも綺麗に揃っている。麺だけを口に運ぶとまず最初に感じるのはほとんど「茹でむら」かと見まごうほどのコシである。そして圧倒的な蕎麦の風味。おもわずつゆ抜きでそのまま一枚行ってしまいそうであった。つゆはそれだけを舌にのせると「やや甘い」と感じるが、この麺とはとても相性がよくしっかりと絡む。そして薬味の葱を加えたところで、味のハーモニーが完成する。わさびも上質だが、それは使わずに麺・つゆ・葱の絶妙なバランスを堪能したいものだ。こんな銘店を見逃していたこと自体が庵主の行いの悪さと言えよう。

日本ばし「やぶ久」 東京都中央区日本橋2-1-19  03-3271-0829

2009-06-03

宝町「瑠雨庵」 (惜別)

瑠雨庵のあった場所はハイエンドの立喰い系蕎麦屋に変わっていた。なかなか上品なお店だっただけに残念。

2009-06-03

日本橋「元禄」

90年代以降の蕎麦ブームの乗ってできた手打ち蕎麦屋の栄枯盛衰が激しい中、ここ日本橋「元禄」は定番の銘店として堅実にやっておられる。田舎、せいろとも蕎麦の風味が生かされたしっかりとした麺である。ただ、これだけ上質の蕎麦に合わせるにはつゆにややキレがないか。甘くもなく辛くもなく、蕎麦の表面についている水分で簡単に薄まってしまう。せいろの水切りが甘いのかもしれない。蕎麦湯はそば粉を溶いたドロッとしたもの。同じようなそば湯は他でも見かけるが、ここはかなり濃い。好みの分かれるところか。

2009-06-03

日本橋「藪伊豆」

久しぶりに伺った。実は初めて知ったのだが、神田の藪の直系御四家は浅草並木、浜町、藪伊豆、そしてなんと高輪の4店なのだそうだ。並木、浜町、藪伊豆はなるほどと思わせる高いクォリティの蕎麦を食べさせてくれるが、高輪はどうであろうか?(ひょっとして高輪の藪って泉岳寺の藪のことじゃないの?)また、自由が丘駅前の藪伊豆は何十年も前に日本橋から暖簾分けしたお店で今では経営的にはまったく関係ないとのこと。前置きが長くなったしまったが、相変わらずやや細め、色もやや薄めの上品な蕎麦である。これと一番そっくりなのは個人的には浜町藪だと思う。つゆは並木ほどキリッとしまった鋭さはないものの、きちんとかえしが先行していてしっかりと麺に馴染む。麺との相性としては申し分ない。結構高いビルにされていることもあり3階では結構な規模の宴会ができるとのこと。一度、蕎麦会でもやってみたいものである。

2009-06-03

神楽坂「紀の善」

甘み処と言えば皆さんはどこを思い浮かべるのだろうか?庵主は神田のご存知「竹むら」かこの神楽坂「紀の善」である。ことに神楽坂の「豆」が好きだ。だからついつい「みつ豆」を頼んでしまう。夏が近づき光り輝く「白玉」が美味しくなる季節だ。坂上の蕎麦の銘店「蕎楽亭」で「あなご天せいろう」を頂いた後に、ゆっくり坂を下って「紀の善」に立ち寄るのが至福のコースである。
途中の和装のお店「助六」に立ち寄ることもお忘れなく。

神楽坂「紀の善」 新宿区神楽坂1丁目12番地 03-3269-2920

2009-06-03

巴町「砂場」

何年かぶりに巴町に伺った。相変わらずお昼時はお客さんの出入りが絶えない。久しぶりにお邪魔したからには「趣味のとろそば」を頼まない手はないだろう。ふんわりとあわ立ったとろろのつけ汁が刻み海苔のかかったおせいろと共に運ばれてきた。砂場さんらしい切り幅やや細めの白っぽい蕎麦である。これをそのまま食してみるとほのかな蕎麦の香りとちょうどいい具合の歯ざわり、極上の麺であることが分かる。この蕎麦と先ほどのあわだったつゆとの相性が抜群によろしい。
思わずおせいろのお代わりをお願いしようとお花番に声をかけたが、ふと「うどん」はいかがなものかと2枚目はうどんせいろをお願いした。しかし、「うどん」というと今やASWを使った讃岐風のグルテンのコシが利いた麺に慣れてしまった庵主にはこの真っ正直なうどんはやや迫力がなかったと言わざるを得ない。でもこれは東京屈指の巴町でお蕎麦でお代わりしなかった庵主が外道というもの。女将さんが「つゆが余ったらこっちにかけてみては」と気を利かせてくれた小さなお茶碗のご飯のお陰でとろろの最期のひとしずくまで堪能することができた。
プロフィール

瑠璃松(無住庵 庵主)

Author:瑠璃松(無住庵 庵主)
蕎麦屋案内サイト「蕎麦三昧」庵主が伝統芸能(文楽、能楽、歌舞伎、長唄など)と歴史と文化の国「イタリア」について熱く語ります!
蕎麦に関する記事は拙ブログ「そば処探訪 名店の今昔」に転載、新しい記事もそちらにアップして行きます。

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